「他人と比べる必要はない」ってこと | 中茎一彦 苫米地式コーチング認定コーチ補

私たちは、他人との比較によって多くの悩みを抱えてます。

その「他人」とは兄弟、親戚、友人、上司、部下という個々の比較から、それらを包括する家族、地域コミュニティー、会社などの組織の中での自分の立場の比較にまで及びます。

どうしても他人と自分を比較して、一喜一憂してしまう人が多いように感じます。

では、そんな人はどうすればいいのか?

最初に結論を言いますね。

自分と他人とでは、見てる世界が違うので比較すること自体、無意味です。


「見てる世界が違う」とは?

コーチングでは、『人は、自己イメージ(自我)によって自分にとって重要なことだけ見ている』としています。

もう少し詳しく解説すると、『RAS(網様体賦活系)の発火によってスコトーマ(盲点)が生まれ、自分にとって重要でないことは隠され、重要な事象のみを五感を通して認識する』ということ。覚えなくて大丈夫です。

とにかく、100人の人がいれば、100通りの重要なこと・重要でないことが存在し、それぞれが重要なことに囲まれた世界で生きているんです。

例えば、ある人は、家族が他の何よりも重要。

ある人は、仕事が一番。

ある人は、ペットのカエルが大切。

ある人は、命よりもお金が重要…


そんな感じで、自分にとって重要なこと、好きな食べ物、譲れない信条etc…なにもかもが人と違います。

そんな私たちが、他人よりも劣ってる・優れてるで比べて順位をつけること自体間違ってるのです。

その間違いを繰り返した結果行き着く先は、差別や偏見、そして戦争です。

戦争こそ、他人との比べ合いの最悪の結果の一つですよね。

ちょっと、話が大きくなってしまったので戻します。


なぜ、私たちは他人と比較してしまうのか?

いつから比較するようになってしまったのか。

それは、生まれたばかりのころから始まっているんです。

「一番は良いこと。ビリは悪い」

「速いことはいい。遅いのは悪い」

「多いことはいい。少ないと悪い」

このように良い・悪いで計測され教えてこられた結果「今の私は良いのか?」「〇〇さんと比べて良いの?悪いの?」と比較するマインドが優先されるようになってしまいました。

コーチングでは、『他人との比較は無意味であり、過去は一切関係ない』が鉄則です。

じゃ、比較することは全てダメなのかというと、それも違いますよね。

比較することで、より成功確率の高い方を選択できたり、誤った方向を事前に見極め回避することもできます。


では、そうすればいいのか?

それは『抽象度を上げる』ということです。

抽象度とは物事の概念の構造を意味する言葉で、抽象度が上がるということは、より抽象的になるということ。

例えば、犬の上の概念はペット。

ペットの上の概念は哺乳類。

哺乳類の上の概念は動物、という感じです。

「犬⇒ペット⇒哺乳類⇒動物⇒…」

目の前の犬を見た時に”犬だ”と認識するよりも、”動物だ”と認識する方が高い抽象度で犬を見ていることになります。「俯瞰視する」とほぼ同じ意味です。

自分のペットの犬も、お隣の犬も、すべての犬を同じ動物という認識で見れると、そこに上下関係や比較、差別意識が生まれません。

ちなみに、高い抽象度の究極は仏教の空の概念であり、到達した人がブッタです。

コーチングでは、抽象度を上げることでIQも上がり、現状の外のゴール達成をよりリアルなものとしていきます。

私たちが、他人の言動にいちいち反応して一喜一憂してしまうのは、抽象度が低いために欲や煩悩に囚われているから。

高い抽象度で物事を見る癖をつけると、些細な争いに巻き込まれず、逆に他人を慈悲の目でみることも可能です。

なんか、説法みたいな話になってしまいましたね。


つまり、他人との比較が起きるのは、抽象度の低い視点同士が狭い上下関係の中で争ってるから。

私たちがすべきことは、現状の外にゴールを設定して「私にはゴールを達成できる能力がある」とエフィカシーを常に高めていくこと。

そして、1ミリでもゴールに近づいた時にはさらに抽象度の高いゴールに設定し直す。

この繰り返しが、想像もつかないぶっ飛んだ世界(ゴール)へとあなたを導くのです。

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