ゴールを設定できなかった私【未来に対する責任】

以前の私は、人生に夢や目標がないと人として恥ずかしいことだと思っていた。誰かに「あなたの夢は?」と聞かれたとき、万が一即答できなければ大人としてカッコ悪い、幼稚、未熟、人生に無責任な人間というカテゴリーに振り分けられると思っていました。だから“夢がなかった時”は、それを悟られないように、なんとなくその問いから逃げることをしていた。でも、いつも逃げることが成功するわけではないので、変わり者扱いされないように、その場しのぎの目標を持ち始めた。「世界中を旅すること」「5000万円の貯蓄をして田舎暮らしを楽しむ」「起業して新しい市場を開拓する」。でもこれらは、本心から望む夢ではなく、あくまでも世間の目を気にして妥協した夢。実は多くの人が似たような状況なのでは、とも思っています。だからお互いに夢の検索はしないことが暗黙の了解になっている。なぜなら相手の夢を伺うことは自分の夢も披露しないといけない可能性がでてくる。そんなことはできない、なぜなら誇れるような夢など持ち合わせていないのだから。大人は子供に対して平気で「将来の夢は?」と質問する。なぜなら子供の方から「じゃ、あなたの夢は?」と聞き返してこないことを知っているから。子供も、まさか夢を問う本人が夢を持ってないとはみじんも想定していない。

ちなみに、ゴールは誰にも言ってはいけません。ゴールを公言すると必ずといっていいほど引き留める人物が現れる。特にコーチングでは現状の外側にゴールを設定するのでなおさらです。「あなたには難しい」「あなたらしくない」「もう少し考えた方がいいよ」「まだ早い」「別の道があるよ」などなど。このような人物をコーチングではドリームキラー(DK)といって、避けるべき相手としています。そして、厄介なことに本人は親切心からDKになることが多いのです。両親、先生、友達。彼らはあなたのことを心配してアドバイスしているつもりなんです。自分が恐ろしいドリームキラーなどという魔物になっていることを知らずに。だからゴールは誰にも言わない。本物のゴールであればあるほど自分の内に秘めておくべきです。

ということは、別の側から想定すると、あなたも誰かのゴールの中身についてむやみに質問してはいけません。誰かのゴールに介入するということは、その人の人生を共有するということ。その責任と覚悟がないうちは決して相手のゴールを聞いてはいけなし、検索してもいけない。もちろん、相手が子供であっても。いや子供ならなおさら。純粋な子供が自分の夢を発したとき、あなたの目の動き、しぐさ、返答の仕方、声のトーン、全てを敏感に察知します。少しでも否定的な何かを感じさせてしまった時の責任は計り知れない。

話を戻します。

以前の私は心から望むゴールがないことに焦っていたし、恥じていた。いち社会人として自分の未来に無責任でいることが。でもコーチになってわかったことがあります。それは、ゴールがないことは恥でも無責任でもないということ。ただ本当のゴール設定の方法を知らなかっただけなんだと。だから見つからないし、自分のメンツを守るために一応のゴールを設定するにとどまっていた。本当のゴールであれば、「はて、このゴールでいいのだろうか」と疑問も湧かず、万が一ドリームキラーに突かれてもそんな攻撃にひるむことなく「これが私のゴールです、文句あるか」と堂々と胸を張って示せる。

本当のゴールを見つけることは決して簡単ではないが、非常にシンプルです。

ゴールが決まったときに湧き出る内なるエネルギーは半端じゃない。眠っていた潜在能力が目を覚ますと人は変わります。人は変わらない様で、意外なほど簡単に変わる。私が思うに、人間は本来、自由に変わることができる生き物なんだと思う。それを邪魔するのは「これが私だ」という妄想と「変われない」という思い込み。本当の“私”はいつでも変わることができるし、常に変わり続けてきました。生まれた瞬間からさまざまな経験を経て現在に至る“私”は、一瞬たりとも変わらないことなどなかったはずです。偉人の名言を検索すれば、人は毎日生まれ変わるというテーマの言葉はいくらでも見つかる。古くは2500年前の仏陀も諸行無常・諸法無我という言葉で後世に伝えています。変わらないものは存在しない。存在するものは必ず変わる。その変化が自然法則によるものであれ、自らの意思によるものであれ、変化することこそ万物の法則であると。

ゴール設定は、人生の進む方向を決める大切なものです。まっさらなキャンパスにあなたが目指す未来の姿・世界・精神状態を描く作業です。その際、過去は一切関係ありません。生まれたばかりの赤ちゃんのように、過去を気にせずワクワクだけを指針にして“自由に”未来を設定しましょう。